鎌倉好き集まれ!もちださん掲示板


この掲示板は「鎌倉好き集まれ!」のリポーターもちださんと皆様のコミュニケーションの場です。もちださんのリポートの感想や質問などをどしどし書き込んでください。当掲示板のご利用上の注意(ガイドライン)はこちらをご覧ください。
おなまえ
Eメール
題  名
メッセージ
セキュリティコード
投稿の際は、いたずら書き込み防止のため、赤で囲まれた5文字の文字列(半角英数字)と
同じものを入力してから「送信する」ボタンを押してください。

   rtf1f      
クッキー情報を保存

[66] Re:[64] 京極高氏「湯沢紀行」について 投稿者:もちだ 投稿日:2022/01/22(Sat) 16:58 [返信]

> 「湯沢紀行」の「近世紀行日記文学集成 一」(津本 信博編 1993年 早稲田大学出版部)で読んだのですが、元禄13年に刊行された版本を元にしたことが解題に記されているものの、湯治先からの帰路のみが含まれていて、湯治に出掛けるまでの様子や湯治中の様子が記されていません。


閲覧、ありがとうございます。
しばらく家をあけていたので、放置パソコンのメールBoxを開くのが大変おくれてしまいました。もう解決済みだとは存じますが、

国文学研究資料館 > 日本古典籍総合目録データベース
で「京極高門」と検索すると書目・所蔵場所・翻刻所載本が列挙されるほか、
写本全文へのリンクもあります(・・・草書ですが)。

私は写本で読んだのですが「版本」にもちゃんと全文が所収してあり、早稲田の先生がどういうわけで全文を収録しなかった?のかはわかりません。ちなみに「湯沢紀行」冒頭の文章は、

○ みづから病に籠り居侍り候て、湯浴みに罷らむとの事物しけれど、独りあるたらちめの気色伺ひて過ぎぬ。今年天和甲子の春思ひ立ち、幕下に二旬ばかりの御暇申し給はり、如月望月の影残るころ首途してゆく。・・・

続編「春の家づと」の冒頭は、

○ 弥生五日、温泉よりあがりて明日は出でたらんとて、折たる蕨、故郷への艸づとになど人々言ひあへるに、・・・

これ以降が「帰路」にあたると思います。

比較的きれいな写本ですので、古文が読める方なら、きっと概要は把握できると思います。


[65] Re:[64] 京極高氏「湯沢紀行」について 投稿者:kanageohis1964 投稿日:2021/12/16(Thu) 14:12 [返信]

すみません、今私の投稿を読み返してみたら色々と誤字誤変換が多いですね…。申し訳ありませんが適宜読み替えをお願いします。
高氏→高門、「湯治紀行」の→「湯治紀行」を、当時先→湯治先、などです。


[64] 京極高氏「湯沢紀行」について 投稿者:kanageohis1964 投稿日:2021/12/14(Tue) 11:00 [返信]

はじめまして。表題についてネットを検索していて「もちださんの鎌倉リポート No.300」を見つけて拝見しました。

私は「湯沢紀行」の「近世紀行日記文学集成 一」(津本 信博編 1993年 早稲田大学出版部)で読んだのですが、元禄13年に刊行された版本を元にしたことが解題に記されているものの、湯治先からの帰路のみが含まれていて、湯治に出掛けるまでの様子や湯治中の様子が記されていません。解題でも湯治先を「湯沢温泉」と書くくらいですので、元にした版本が既に帰路のみの内容になっているのだろうと推察しています。

もちださんの記事ではその当時先が箱根の塔ノ沢温泉であることをお書きになっていますので、その部分をお読みになったと思うのですが、どちらでその部分をご覧になったたのでしょうか。刊行されたものがある様であればそちらを拝見してみたいと思います。


[63] Re:[61] 小机観音 & [62] 投稿者:もちだ 投稿日:2020/04/23(Thu) 20:47 [返信]

新型コロナで「公共交通機関」利用の自粛がいわれていたので、今回は乗ってた電車のついで、ということで2、3のお寺をのぞいただけでした。真福寺も歩くとちょっと駅から遠いけど、バスも自粛、ということで。

横浜市もあるくとまだけっこう意外なほど田園地帯がのこっていたりして、
このご時勢、ほとんど人にもあわず、名も知らぬ老人ホームの参道の、見事な桜吹雪なんかを独り占めできました。目当てにしてたカルディの接待コーヒーが自粛されていたのはショックだったけれど。

いまは出来るだけ人混みを避けてあるくくらいしかないですから。それから・・・樋田さん。こちらこそお力にもなれず、何といっていいのやら。・・・


[62] Re:[52] 季揚宗賛についいてのご回答ありがとうございました。 投稿者:樋田 投稿日:2020/04/22(Wed) 21:38 [返信]

丁寧に回答いただきましてありがとうございました。

掲示板に質問を投稿しようとしたのですが、投稿できなかったと勘違いして、そのままになってしまいました。

今回、たまたま、季揚宗賛を再び調べようとグーグル検索したところ、当該ページがヒットしまして、回答を頂いていることが分かった次第です。

随分(1年半以上)時が経ってしまい、回答のお礼もせずに大変失礼いたしました。改めてお礼を申し上げます。




[61] 小机観音 投稿者:パディントン 投稿日:2020/04/19(Sun) 11:48 [返信]

こんにちは。
絶対に行こうと思っていた西方寺や真福寺のリポートありがとうございます。残念でなりません。12年後・・・中開帳やっていただけないかなあ。
慶運寺も行きたかったのですが、行かれましたか?


[60] Re:[59] 訂正です。 投稿者:もちだ 投稿日:2019/12/26(Thu) 21:40 [返信]

> 京都が禅居庵、鎌倉が禅居院でした・・・

現在は「院」で区別するんですよね。
65・354号などではたしかに「院」だった・・・(笑)。
でも「鎌倉五山記」などによれば、むかしは両方とも庵だったようです。

摩利支天は五所神社とか長谷新宿の御嶽神社(大太刀稲荷)などにもあります。清拙禅師が渡海のおまもりとしてもたらしたという伝承があるらしい。蘭渓は建長寺にいる唐土の伽藍神、無学は鳩と龍が護ったらしい。よくある伝承ですけど。

いまは寺の公開より庭の墓苑開発にいそがしいらしいけど、ひだり側に散在するお墓のうらから祠のたつ高台にのぼると、建長寺の屋根がみえる。高台の周りにはやぐらや掘割があったと思います。物見台ですね。それで山伏がいて山伏信仰の摩利支天があって、平時は時報代りにほら貝など吹いていたのではないでしょうか。

京都のはたしか「摩利支天堂」とかいって、塔頭というより庶民的な、縁日なんかがあるありふれたお堂になっていたと思います。仏像や頂相はあったっけ・・・だいぶ前にいったからなあ・・・舞妓さん御用達の「赤いーの」とかハッピー六原とか、よけいなものしか覚えてません(笑)。


p.s.
このサイトは修正がむずかしいので、まあまあのケアレスミスは放置していますが、どなたでもお気づきの点は掲示板でご指摘ください。ただしシステム上、編集部のチェック(たぶん荒らし対策です)がはいりますので、その分はご容赦願います。



[59] 訂正です。 投稿者:パディントン 投稿日:2019/12/23(Mon) 19:21 [返信]

京都が禅居庵、鎌倉が禅居院でした・・・


[58] 禅居庵 投稿者:パディントン 投稿日:2019/12/23(Mon) 15:53 [返信]

こちらには、宋風の聖観音像がありました。
清雲寺や北條寺に負けないよいものだったと思います。(ちょっと記憶が怪しい・・・)
摩利支天もありました。
京都は狛いのししのいる禅居「院」ですよね。

良いお年をお迎えください。


[57] Re:[56] [55] ご無沙汰しております 投稿者:パディントン 投稿日:2019/11/08(Fri) 14:27 [返信]

大イチョウは聖絵に夢中で確認を忘れていましたが、倒れたりはしていませんでした(笑)。

教恩寺の阿弥陀は、衣の細工の細かさがよく見え、顔だちも本で見るよりずっとよかったです。
あの本といえば、補陀落寺に伺ったら解説代わりに置いてありました。
材木座来迎寺のは現地で見たときは気付きませんでしたが、脇侍が転びそうなくらい前のめりで笑いました。

風入れも行きたかったのですが、金沢文庫の聖徳太子の誘惑に負けました(笑)。

手術なさったとのこと、養生なさってください。



> 既読が大変おそくなって、すみませんでした。
> スマホ世代にうまれてたら、大量に友達を失ってたかも。
>
> 先月手術して忙しくて、きょうとりあえず「建長まつり」をみてきたところです。
>
> 北鎌の定番寺院はひさしぶり。塔頭や仏像など、見所はあまりふえていませんが、変ったところといえば撮影禁止のタグがめっきり少なくなった(?)印象です。おもしろかったのは、けんちん汁を配るミス鎌倉(笑)。
>
> 教恩寺の阿弥陀は、学研の本に出ていたやつでしょうか。真教といえば相模線の原当麻から無量光寺・上依智・八菅まで歩いたのを思いだします。
> そういえば、藤沢の大イチョウ、どうでした?